里人 No.5 鷲見 靖平さん・悠さん

東京からIターン
移住のあれこれ

鷲見 靖平さん・悠さんご夫妻

2018年4月に東京から南部町へ移住した鷲見さん夫妻
東京で仕事をしながら
家探しや仕事探しを実現した
移住の現実とこれから

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出逢い、結婚、そして南部町へ

出逢いは2013年、東京だったという2人。

米子市出身で、20歳の時に大学進学で東京に出た靖平さんは、東京で就職活動をしながら、35歳になったら鳥取に帰ろうと決めており、付き合い始めた当時から悠さんに伝えていた。

一方悠さんは、この先東京に住み続けたいとか出身の福島に戻りたいとは特に考えておらず、いずれ鳥取に帰ると決めている靖平さんとの未来や、鳥取の距離感も、当時は実感が湧かなかった部分もあった。

その後結婚した2人は、靖平さんの希望通り鳥取に行くことを見据えながら2年ほど東京に住んだ後、2018年から自身での情報収集と東京にある鳥取県の定住機構への相談と自身のでのリサーチで、仕事と家を決めて4月に南部町に引っ越してきた。

靖平さんの実家は米子市にあるにも関わらず2人が南部町に移住を決めたのは、南部町には靖平さんの叔父の家があること、悠さんの生まれ育った福島県の郡部と雰囲気が似ていることの他に、移住相談会等のイベントで南部町は移住サポートや制度が手厚く、南部町に来て欲しい!という思いを強く感じたからだそう。

さらに、珈琲豆の焙煎をする悠さんにとって米子より南部町は環境が良いということも大きな理由の1つだった。

しかし東京に住みながら、家や仕事を探すのは簡単ではなく、最終的に家が決まったのはなんと4月の頭だった。

南部町のお試し住宅「えん処米や」に泊まり物件を紹介してもらう中で、アパート暮らしは東京に住んでいるのと変わらないという思いに加え、珈琲の焙煎には不向きで、ちょうどそのとき空きのあった現在の家である古民家に住むことを決めた。

 

そして都会からの移住を考える人にとって最大の問題になる、仕事探し。

靖平さんは会社探しを2月〜3月の2ヶ月間程で行い、4月に面接を集中して受け、今の仕事に就くことが決まった。

東京ではアウトソーシングの会社で勤めていた靖平さん。

面接を複数受けた中で最終的に縁があったのは、県の定住機構の求人に出ていた広告代理店だそうだが、大手のリクルートサイトから定住機構の求人まで幅広く探し、給料が下がることは覚悟の上で、仕事に対する優先順位をつけて、希望の範囲内の会社をいくつか受けた。

「都会と全く同じ仕事ではなくても、どこか共通する部分のある仕事はあるはず。」と話す。

 

引っ越し、生活、そしてこれから

いざ新しい生活が始まるも、やはり実家や友人と遠く離れて見知らぬ土地で暮らす不安は大きく、心に余裕がなくなっていったという悠さん。

慣れない環境から、買い物に行くだけでも近所の方に見られているような気がして外に出るのが億劫になったり、カメムシやムカデ等の虫の多さに心が折れたりして気持ちが落ち込んだという。

しかし少しずつ生活に慣れ、〝自分は今後ここで生活していくのだ〟という思いを感じるようになってから、〝楽しく暮らしていきたい!〟という気持ちが芽生えるようになった。

今ではご近所さんはお野菜を分けてくれる温かさを感じる存在であり、何かあっても頼れるなと安心できる存在になっている。

また、生活が落ち着いてきたら豆の販売をしていくことが現在の目標という悠さん。

東京にいた当時、カフェでのアルバイトがきっかけで珈琲に興味を持つようになり、珈琲豆屋でのアルバイトを経験したことでその興味が更に深まった。

いわば嗜好品である珈琲だが、そこにあることでホッとさせてくれる世界共通の文化。
実は鳥取は珈琲の消費量が全国2位なのだそうで、ハンドドリップする方も多い。

そんな鳥取の方々の生活に溶け込むような豆を提供していけたら嬉しいと悠さんは話す。

家探しや仕事探しなど、精神力と体力が必要な離れた距離からの移住計画を乗り越えた2人。南部町での移住生活はまだ始まったばかり。
これからの変化も楽しみだ。

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